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【愛国の歌】旅人(たびびと)の 宿(やど)りせむ野(の)に 霜(しも)降(ふ)らば 遣唐使之親母(けんとうしのはは)

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も愛国の歌を皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう!

今日はこちらの歌です。

旅人(たびびと)の 宿(やど)りせむ野(の)に 霜(しも)降(ふ)らば
吾(あ)が子(こ)羽(は)ぐくめ 天(あま)の鶴群(たづむら)

遣唐使之親母(けんとうしのはは)

万葉集巻九相聞の部にあります。
 
このような詞書があって、この歌は詞書の最後にある短歌です。

天平五年癸酉(きいう)、遣唐使の船、難波を発ちて海に入りし時、親母(はは)の子に贈る歌一首并(あは)せて短歌

歌の意味は

大陸に渡った遣唐使一行が宿を取った野に、霜が降りたなら
その羽で一行中の我が子をおおい守ってくれ、空に飛ぶ鶴たちよ

遣唐使一行のひとりとして大陸へ旅立つ息子のことを思いやった母の歌です

このときの遣唐使は第十次。

天平五年(733年)の四月に4隻の船で難波津を発ちました。

四月に発ちましたから、季節的に霜は降りません。

母親は、大陸は夏でも霜が降りるのでは心配したのです。

もし霜が降りたら、鶴が羽のもとに雛をかばうように、一行中のわが息子を守ってほしいとという母心です。

歌の趣から推察するに、この息子は一行の中で、身分がそれほど高くはなかったようです。

このときの第十次遣唐使は4隻で出発し、4隻すべて無事に蘇州に到着。

翌年、朝廷に拝謁しています。

しかし帰路は、第1船はそのまま日本に戻って来れたものの、ほかの船はそうはいきませんでした。

第2船は、唐に流し戻され、船を修復し再び唐を出港、帰朝できました。

第3船は今の南ベトナムに漂着。襲撃を受け100人以上の乗組員が4人になり抑留されるも脱出して、唐から渤海を経由し日本へ戻っています。(4人すべてが戻ったかは不明のようです)

第4船は行方不明になりました。

今日の歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!




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