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【愛国の歌】韓国(からくに)に 往き足らはして 帰り来(こ)む 多治比鷹主(たじひのたかぬし)

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も愛国の歌を皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう!

今日はこちらの歌です。

韓国(からくに)に 往き足らはして 帰り来(こ)む 
丈夫武雄(ますらたけを)に 御酒(みき)たてまつる

多治比鷹主(たじひのたかぬし)

万葉集巻十九所収です。

作者の鷹主が、遣唐使の副使として唐に出発する大伴胡麻呂(おおとものこまろ)の役目達成と無事の帰朝を祈願する餞(はなむけ)の歌です。

歌の意味は

唐に行き着いて、役目を十分に果たして
帰ってくるであろうますらおにお酒を奉ります

「韓」とは、唐のことです。

この遣唐使は、天平勝宝四年(752年)、第12次です。

唐に赴いた大伴胡麻呂は、なかなかに骨のある外交巧者の人であったようです。

遣唐使一行は入唐すると、長安で玄宗皇帝に拝謁しました、。

その翌年、長安の宮殿で、唐に朝貢する諸国の使節が一堂に出席し、玄宗皇帝も臨席された行事が行われました。

この時、日本の席次が新羅よりも下でした。

この席次に対して大伴胡麻呂は、新羅は日本に対し朝貢を行っているのであり、義にかなっていないと理由で、日本と新羅の席を交換させました。

また754年(天平勝宝六年)、僧の鑑真がそ日本への来日を希望しましたが、唐は鑑真の日本への出国を認めませんでした。

このため、第1船(今回の遣唐使は4船で来ました)に乗っていた大使の藤原清河は、鑑真を下船させます。

すると、第2船に乗っていた副使の大伴胡麻呂は、鑑真を極秘に乗せて日本へ連れて行きます。(大使の藤原清河にも内密だったようです)

鑑真はそれまで、幾度も日本への来朝を企て、すべて失敗していましたが、これで念願がかなうことになりました。

作者の多治比鷹主(たじひのたかぬし)は、天平勝宝九年(757年)、政変に連座したかどで捉えられ、獄中死になったともいわれています。

今日の歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!




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