【愛国の歌】ながめばや 神路の山に 雲消えて 後鳥羽院御製
皆様こんにちは
蓬田でございます!
今日も愛国の歌を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう!
今日の歌はこちらです。
ながめばや 神路の山に 雲消えて
ゆふべの空を 出でむ月影
後鳥羽院御製
承元二年(1208年)、後鳥羽院上皇二十九歳の時の御製です。
意味は
眺めたいものだ この山に懸かる雲が消え
秋のゆうべの空を照らす月影を
神路山は、伊勢神宮の背後に控える神聖なる山です。
上皇は、伊勢神宮にお出ましになって詠まれたのではなく、献詠あそばされました。
ご存知の通り、承久三年(1221年)、後鳥羽上皇は時の鎌倉幕府執権の北条義時を討伐し、朝廷復権を果たそうとなさいましたが敗れました(承久の乱)。
この歌は、承久の乱までには10年以上ありますが、「雲消えて」の「雲」は、院の御心にを曇らせる御懸念を象徴していたのかもしれません。
「神路の山」も、伊勢神宮の背後に控える実際の山ではなく、皇室の御権威と拝察します。
今日の歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!