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【愛国の和歌】我が道を まもらば君を まもるらむ 藤原定家

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も「愛国の和歌」を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりたいと思います!

今日の和歌はこちらです。

我が道を まもらば君を まもるらむ
よはひはゆづれ すみよしの松

藤原定家

「新古今和歌集」に採られている歌です。

千五百番歌合(せんごひゃくばんうたあわせ)で詠まれました。

「歌合(うたあわせ)」とは、歌人を左右二組に分けて、それぞれが詠んだ歌を比べて優劣を付けて楽しむ遊びです。

天皇や公卿などが主催しました。

遊びではありますが、和歌をうまく詠えるかどうかは出世に関わることでしたから、気軽な遊びではありません。

千五百番歌合は、鎌倉時代に後鳥羽院が主催した歌合です。

和歌史上、最大規模の歌合でした。

今回の歌の意味ですが、

住吉の神が私の歌の道を守ってくださるなら、わが君をも守ってくださるでしょう
それなら我が君に齢を譲ってくだされ、住吉の松よ

「わが道」とは、和歌の道のことです。

住吉の神は、和歌の守り神

わが君後鳥羽院は和歌がお好きですから、きっと院をもお守りくださるでしょう。

住吉の松よ、寿命が長い松なのなだから、齢を我が君に譲って、君を千歳とならせたまえ。

後鳥羽院主催の歌合にぴったりの内容の歌ですね!

作者の藤原定家について触れておきましょう。

定家は、平安時代末から鎌倉時代始めという激動の時代に生きた公家です。

出世欲が旺盛で、70歳を過ぎてもその意欲を失わなかったといいます。

和歌の世界ではスーパースター的存在。

「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」というふたつの勅撰和歌集に載せる歌を選びました。

また「小倉百人一首」の和歌を選んだのも藤原定家です。

若い頃から病弱で、特に呼吸器系の症状に悩まされていました。

症状が出たときは、写経や書物の書写をして症状を克服していたといいます。

さまざまな書物を書写したおかげで、「源氏物語」や「土佐日記」などの平安文学が後世に残りました。

仁治二年(1241年)に亡くなりました。享年八十。

今日の和歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!




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