皆様こんにちは
蓬田でございます!
今日も「愛国の和歌」を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりたいと思います!
今日の和歌はこちらです。
傳(つた)へては 我(わ)が日(ひ)の本(もと)の つはものの
法(のり)の花(はな)咲(さ)け 五百年(いほとせ)の後(のち)
林子平(はやししへい)
作者の林子平は、江戸時代の寛政期に活躍した「寛政の奇士」のひとり(「奇」とは優れたという意味で、「変わった」「変な」という意味ではありません)。
元文三年(1738年)に、幕臣の次男として江戸に生まれました。
父親の岡村良通は御書物奉行として幕府に使えていました(620石)。
しかし、子平三歳のとき浪人となり、諸国放浪の旅に出てしまいます。
残された家族は叔父のもとで生活することになりました。
長じて子平は、北は松前から南は長崎まで全国を行脚。
ロシアの脅威を説き、「海國兵談」などの書物を著します。
和歌ですが、この歌は寛政三年、「海國兵談」の巻末に載せたものです。
子平五十四歳のときです。
意味は、
拙著「海國兵談」は世に伝わり、やがてわが日本国の武士たちの法典となって、
その花を咲かせ実を結ぶだろう 五百年の後に
というものです。
今の幕府や藩の政権に携わる者には、この論は理解できないかもしれぬ。
しかし、500年後にはこの書物がものを言うのであるぞ
と子平の自信とよき傲慢が表れています。
「海國兵談」には
「我が海國の位置より外寇にかかり易きより其の武備は外寇を防ぐを知ること指し當つての急務なるべし」
と書かれています。
日本の地政学上から海軍の必要性をいち早く説きました。
21世紀のいま、わたしたちを取巻く状況をみると、海軍のみならず、サイバー攻撃、ウィルス攻撃、金融攻撃など21世紀の「外寇」を防ぐための術を考えることが急務であると考えます。
子平の慧眼に敬意を表するとともに、子平の志にいま一度向き合っていきたいと思います。
今日の和歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!