皆さんこんにちは
蓬田でございます!
今日も「愛国の和歌」を、ご一緒に鑑賞してまいりたいと思います。
今日の和歌はこちらです。
その海の 深き碧みの さながらに
慎ましかりし 沖縄乙女
渡邊五郎三郎
作者の渡邊五郎三郎は大正八年、福岡県生まれ。
昭和十一年旧制中学明善校を卒業し、南満工専技養・機械科卒業後。
満鉄・鉄道技術研究所に入所。
二十六年、参議院議員秘書、四十一年、国務大臣行政管理庁長官秘書官、五十一年、福島県知事政務秘書。
昭和二十四年、戦後処理の活動とともに、青少年の健全育成を目指して活動する「日本健青会」の創設に参画。
創設当時、漢学者の安岡正篤先生に、会の顧問になってもらおうと、日銀前の安岡先生が主宰する師友会の事務所に会いに行ったときのこと。
当時二十七歳の渡邊氏は、安岡先生は怖い方だということでとても緊張していましたが、実際に会うと、先生はとても優しい方だったといいます。
安岡先生は当時四十八歳。二十歳ほどの開きがある渡邊氏に対して先生は対等に話し、先輩面しなかったと振り返っております。
安岡先生は「自ら修めて国家社会の役に立つ。それだけでいい」と話し、顧問就任も快諾しました。
以来、安岡先生に師事します。
この歌は昭和三十九年、松平公参議院議員の秘書時代、沖縄に行ったとき詠んだ歌です。
渡邊氏は出張に行くと、日記がわりに和歌を詠む習慣がありました。
沖縄には昔の日本の良さが残っていて、特に女性の慎ましさや献身ぶりには心打たれたということです。
安岡先生にこの歌を見せたところ、先生は「これは良い歌だよ」と褒めたといいます。
今日の和歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!