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我(われ)を我(われ)と しろしめすかや 高山彦九郎

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も「愛国の歌」を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう!

今日の「愛国の歌」はこちらです。

我(われ)を我(われ)と しろしめすかや
すべらぎの 玉(たま)のみ声(こゑ)の かゝる 嬉(うれ)しさ

高山彦九郎(たかやまひこくらう)

高山彦九郎は、上野(かうつけ)新田(につた)の人。新田は現在の群馬県太田市です。

林子平(はやししへい)、蒲生君平(がまふくんぺい)とともに、寛政の三奇士と呼ばれました。
(「奇」は、「優れている」の意味です)

十三歳のとき「太平記」を読んで、勤王の志が芽生え、十八歳、家を出て各地を遊歴します。

彦九郎は、四国以外ほぼ全国を旅しました

勤王の志士彦九郎は、多くの人々と交流し、人心を激励、勤王思想を説いていきました。

二十七歳からの日記が、膨大な量となって、今に伝わっています。

四十六歳、筑後国久留米で自刃。

吉田松陰や西郷隆盛ら幕末の志士たちにも影響を与えました。

三島由紀夫も関心を持ち続けたといいます。

歌の意味は、

草莽の微臣、彦九郎ごときを、覚えておいでに遊ばされたのか
お言葉を賜り、なんという嬉しさよ

光格天皇に拝謁されたときの歌です。

天恩の洪大さに感激した彦九郎の気持ちが表れています。

京都の三条大橋東詰に、彦九郎が皇居遥拝している銅像があります。

現在の銅像は二代目。

初代は1928年(昭和3年)に創建。台座は東郷平八郎が揮毫(毛筆で言葉を書くこと)しました。

現在の銅像は、1961年(昭和36年)に再建されたものです。

今日の一首が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!




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