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敵(あだ)あらば いでもの見せむ 水戸齊昭(みとなりあき)

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も「愛国の歌」を皆様とご一緒に鑑賞して参りたいと思います!

今日は「愛国の歌」22回目です。

敵(あだ)あらば いでもの見せむ
武士(もののふ)の 彌生(やよひ)なかばの 眠(ねむ)りざましに

水戸齊昭(みとなりあき)

齊昭は、第九代水戸藩主です。

徳川幕府最後の十五代将軍慶喜の父親でもあります。

齊昭は、第七代水戸藩主の三男として生まれました。

聡明な人でした。

三男ですので、部屋済みとして過ごします。

部屋済みとは、何かあった時のために実家に残る人のことです。

たとえば、長男は家を継ぎ、次男は養子としてそれなりの家格の家に行ったとき、実家に残ります。

基本的には冷遇されていたようです。

ですので、本来は藩主にはならない人でした。

しかし、兄の第八代藩主齊脩(なりのぶ)に跡継ぎに恵まれなかったためと、齊昭自身が聡明だったこともあり、藩主として水戸徳川家を継ぐことになりました。

齊昭の業績はいろいろありますが、藩校弘道館の設立はそのもっとも大きなもののひとつでしょう。

ここでは、文系的な学問のほかに、自然科学も積極的に教授・研究さていました。

齊昭は西洋技術の導入にも積極的で、大砲の製造も成功させます。

この歌が詠まれた時期は、黒船が江戸近海だけでなく、水戸藩領地、大津浜(現在の北茨木市)にもイギリス船が来航、イギリス人が上陸しています

歌の意味は、

西洋の敵ども、来るならば来てみろ。目に物見せてやろう。

わが徳川幕府も泰平が続きすぎた。

武士たちも遺憾ながら春の惰眠を貪っている。

彼らの眠気覚ましに外患はちょうど良い薬になろう。

当時、欧米の国々は日本に対して、通商という名の侵略を考えていたのですから、当時の齊昭の考えは間違っていなかったと思います。

こうした気概を、わたくしたちも持ちたいと思います!

今日の一首が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです。




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