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山(やま)のごと 坂田(さかた)の稲(いね)を 抜(ぬ)き積(つ)みて 大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も愛国の和歌を、ご一緒に鑑賞してまいりましょう!

今日の和歌はこちらです。

山(やま)のごと 坂田(さかた)の稲(いね)を 抜(ぬ)き積(つ)みて
君(きみ)が千歳(ちとせ)の 初穂(はつほ)にぞ舂(つ)く

大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)

作者の大中臣輔親は、平安時代中期の公卿、歌人。

寛和2年(986年)文章生(もんじょうせい、大学寮で漢文学を学ぶ学生)となり、正暦2年(991年)従五位下。

長保3年(1001年)伊勢神宮祭主。

治安2年(1022年)神祇伯に任ぜられます。

長元7年(1034年)従三位として公卿に列し、長元9年(1036年)正三位に叙せられました。

歌の意味は

山のようにたくさんの坂田の稲を刈りとって
天子の万歳をお祝いする初穂をついて奉るのである

「ごと」は、「ごとく」の意。

「坂田」は、近江国の坂田のこと。

倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を伊勢(現在の伊勢神宮)にお祀りするまでの二年間、「坂田宮」に滞在した場所です。

その後、坂田は伊勢神宮の神田となり、坂田御厨と呼ばれました。

このような由緒から、坂田は寿ぎの歌の歌枕ともなりました。

下に説明する「悠紀(ゆき)」の齋田(大嘗祭(だいじようさい)に供える御酒・御饌の料となる新穀を作る田)がありました。

「悠紀」とは「最も神聖で清浄である」という意味。

大嘗祭には、悠紀殿が建てられ、齋田で作られた新穀を供えます。

現在でもこの伝統は生きています。

今上天皇が即位された令和元年、わたくしは皇居東御苑に建てられた大嘗宮を参観致しました。

そこには悠紀殿が建てられていました。

現在は、新潟、長野、静岡を結ぶ線で、国内を東西に二分。

その3県を含む東側を「悠紀の地方」、それより西側を「主基(すき)の地方」と定めて、それぞれの齋田で、大嘗祭に供えられる稲が育てられています。

斎田では、祓式、御鍬入れ式、播種式、御田植式など神事が行われます。

それぞれの地方の農家により、大嘗祭にたてまつる新穀を、丹精をこめて育てられます。

大中臣輔親のこの歌は、大嘗祭の際の悠紀方の歌です。

今日の一首が皆様の心に感じるところがありましたら幸いです。

※冒頭の写真は、令和の大嘗宮(皇居東御苑)




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