皆様こんにちは
蓬田でございます。
今日も愛国の歌をご一緒に鑑賞してまいりましょう!
今日の歌はこちらです。
かかる時 さこそ命の 惜しからめ
かねてなき身と 思い知らずは
太田道灌
道灌といえば、戦国時代の智将として知られています。
江戸城を築城したことでも有名です。
幼少の頃から聡明な子でした。
よく知られている逸話に、父親が「奢者不久(奢れる者は久しからず)」と書いて道灌を諫めると、「不」と「又」の二字を書き加えて、「不奢者又不久(奢らざる者又久からず」としたというのがあります。
逸話ですから、本当かどうかはともかく、幼少の頃から道灌は、よくいえば才気煥発、悪くいえば生意気で子どもらしくなく、知恵が回る子どもでありました。
道灌は易経に通じていました。
足利学校で学んでいますから、ここで易学を勉強したのでしょう。
足利学校といえば当時の日本最高学府。漢籍を通じて儒学を講じ、易学、兵法なども教えていました。
歌の意味ですが、直訳すれば
こんな時はさぞ命が惜しいとことだろう
普段から死ぬ覚悟を決めていなければ
となります。
これを裏からいえば
いつもこの身を死んだものと覚悟を決めているだから
こんな時でも命は惜しくない
となります。
この歌はよく、道灌辞世の歌といわれていますが、そうではないです。
道灌二十四歳の作。
戦の最中、味方の武士が敵の若武者を討ち取り、その首を携えて道灌の陣にやって来ました。
味方の武士が言うには「歳はいまだ壮年にも至らぬ勇ましい若武者。敵ながらあっぱれな人物」
道灌に、この武士に対する手向けの歌を所望します。
そこで詠んだのがこの歌というわけです。
「武士は相身互い(同じ対場にある武士同士、お互いに思いやりをもって接すること)」といいますが、それを地でいくエピソードだと思います。
今日の歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!