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帰(かへ)らぬも 誰(た)がためならぬ  旅(たび)なれば 是枝柳右衛門(これえだりゅうえもん)

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も「愛国の和歌」を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう!

今日の和歌はこちらでございます。

帰(かへ)らぬも 誰(た)がためならぬ  旅(たび)なれば
神(かみ)もあはれと みそなはすらむ

是枝柳右衛門(これえだりゅうえもん

柳右衛門(りゅうえもん)は薩摩の人。

文化十四年(1817年)、谷山(たにやま)に生まれます。

代々商家でしたが、家は貧しかったようで、15歳で家を出て、昼間は魚や塩の行商をしながら、学問に励んでいました。

32歳のとき、谷山に戻ります。

家塾を開き、習字、読書、算道(算術)を教えていました。

地元の青年100人余りが、塾に通って勉強していました。

薩摩城下の志士達と国事を語り合うなかで、事態が切迫していることを悟ります。

幕府が勅許を得ずして日米修好通商条約を結んだことで、大老井伊直弼(いいなおすけ)を刺すという大事を胸に、江戸へ旅立ちます。

しかし、旅立つ前に直弼はすでに桜田門外の変で暗殺されていました。

この歌は、江戸に旅立つに際して、地元谷山にある伊勢大神宮を拝し、捧げ詠んだものです。

歌の意味は

決死の覚悟を極め、再び故郷に帰らない旅に出ますのも、誰のためでもなく、君の御ためにほかなりません
それ故、神はご覧になっても、この身のあはれを思われ、加護くださることと存じます

柳右衛門はその後、薩摩藩士同士の闘争となった寺田屋騒動によって縛につき、屋久島への配流となりました。

元治元年、島中において病没。享年四十八。

明治二十四年、従四位を追贈されました。

和歌は、薩摩藩の八田知紀に学び、京都滞在中は香川景恒の門に出入りしたといいます。

きょうの和歌が、皆様の心に感じるところがありましたら幸いです!




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