令和五年9月30日
純文学とは何でありましょう?
文豪が書いた小説をいうのでしょうか?
純文学ということについて、ごく初歩的な、幼稚ながらも、いまの私の精一杯の考えを少しだけ述べてみます。
・純粋な芸術文学
・大衆文学と純文学
・時代を越えて読み継がれていく文学
このような内容で述べていこうと考えております。
まず、純粋な芸術文学を純文学ということについては、多くのかたは異論ないことと思います。
実験的な試みをしている、最先端の文学作品です。
芸術の分野では現代美術というのがあります。
私は美術が好きです。よく美術館へ展覧会を見に行きます。
でも、現代美術はよく分からない作品が多いです。
作品を見ているとき、心に何か感情が起きるわけでなく、そもそもどういう作品なのか、作家は何を作品で表現しているのか、皆目見当がつかないことがたびたびあります。
作家は実験的な試みを、自分の作品において行っているのでしょう。
文学における純文学とは、美術における現代美術であると思います。
私は音楽も好きです。
R&B、ブルース、ロックのジャンルが好きです。
聞くだけでなく、オヤジバンドを組んで演奏もします。バンドで演奏するオリジナル曲も作ります。
このように音学は大好きなのですが、現代音楽というものはよくわかりません。
現代美術と同じで、聞いても心が動かされることはないし、作家が何を表現したいのか皆目見当がつきません。
音楽の勉強を積んだ先生が作った曲なのだから、きっと意義のある曲に違いないと理解しても、曲が難解すぎて、取りつく島がありません。
作曲家は恐らく、新しい試み、実験的な試みを行っているのでありましょう。
文学における純文学とは、音楽における現代音楽のことであると思っております。
このように純文学とは、文学における新しい試み、実験的な試みによって書かれている文学作品です。
新しいとは、
・文体
・テーマ
・全体の構成
ほかにもたくさんありましょうが、こうした要素を新しいものに置き換えていって、これまでにはない芸術作品になった文学作品を純文学と呼ぶのであります。
(続く)