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中国の最高指導者列伝 華国鋒 毛沢東の私生児?!

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皆様こんにちは
蓬田でございます!

今日も中国について、皆様とご一緒に考えてまいりたいと思います!

今日は中国の歴代最高指導者のひとり華国鋒についてです。

華国鋒は、毛沢東と鄧小平との間の指導者です。

華国鋒は1921年(大正10年)、内モンゴル自治区や黄河に挟まれた内陸にある山西省で生まれたとされています。

出生については謎で、毛沢東の息子という噂があります。
  
毛沢東が1920年、長沙で活動していたときに知り合った女性が母親で、その母親は華国鋒を生んでから2年後に亡くなったようです。

1938年(昭和13年)、中国共産党に入党。1949年(昭和24年)、中華人民共和国の成立以降、毛沢東の忠実な部下として出世していきます。

1976年(昭和51年)、周恩来がなくなると、副総理であった華国鋒が総理代行に就任します。

当初は、文化大革命の継承を主張する四人組を支持していました。
 
同年9月に毛沢東がなくなると、四人組が政権を奪うのではないかと警戒し、メンバーの江青を逮捕。

党、行政、軍のトップに立ち、権力を独占しました。

華国鋒が最高指導者となった正当性は、毛沢東が死ぬ直前に「あなたがやれば私は安心だ」という“遺言メモ”だけ

なので、華国鋒は毛沢東路線を継承しないわけにはいかないのでした。

一方で、毛沢東は大躍進と文革で中国国内を経済的、社会的にはガタガタにしており、その立て直しをしないといけません。

華国鋒は毛沢東路線の継承と経済の立てて直しを同時に進めていくという難問にぶち当たることになりました。

1977年(昭和52年)、経済立て直しを進める鄧小平を復権させました。(鄧小平は資本主者だとして失脚させれていました)

その後、鄧小平の影響力が急速に拡大すると、華国鋒は1980年に国務院総理を解任させられます。

1981年(昭和56年)、党主席と党中央軍事委員会主席からも解任され、党、行政、軍のすべてのトップから引きずり下ろされました。

その後も、中国共産党中央委員を務めますが、ある程度の政治活動は認められていたようですが、実質的には政治生命は絶たれました。

2002年(平成14年)、中国共産党中央委員を引退。

2008年(平成20年)、北京市内の病院で亡くなりました。享年87。

毛沢東は、華国鋒が実の息子のため、党の人事でも抜擢し、後継者に選んだものかもしれません。

華国鋒も、父親の政治路線を継承することが子として、また選ばれた政治家として、自分の責務と感じていたのでしょうか?!

今日の記事が、皆様の中国認識に取りまして、少しでも参考になりましたら幸いです




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