皆様こんにちは
蓬田でございます!
今日も「愛国の歌」を、皆様とご一緒に鑑賞してまいりましょう!
霰(あられ)降(ふ)り 鹿島(かしま)の神(かみ)を祈りつつ
皇御軍(すめらみくさ)に われは来(き)にしを
大舎人部千文(おほとねりべのちぶみ)
「万葉集」巻二十、防人の歌のひとつです。
「霰(あられ)降り」は、あられの音がかしましい(音が大きくてうるさい)ことから、「鹿島」にかけた枕詞。
あられが降っている情景を詠っているのではありません。
最後の「来(き)にしを」の「を」は、感慨を表す言葉。
皇軍の一員として国防の任につくことを、感慨込めて詠っています。
作者の千文(ちぶみ)、常陸国那賀郡の人。
防人に召されると、鹿島神宮に武運長久を祈り、九州へ出征しました。
鹿島神宮は建御雷命(たけみかづちのみこと)が祭神です。
日本書紀では、建御雷命(たけみかづちのみこと)と、経津主神(ぬつふしのかみ)が天降り、豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)を平定したといわれています。
一方、常陸風土記では、「鹿島の天の大神」が高天原(たかまがはら)から降って、鹿島神宮に祭られ、奉弊(天皇の命により幣帛(=神への捧げ物))を受けるようになったとのことです。
鹿島神宮の本殿は北を向いています。神社としては珍しいこと。
北を向いているのは、北方を護るためだと古くから言われてきました。
鹿嶋神宮は、北の護りの要であったのです。
源頼朝や徳川家康からも厚い保護を受け、武運守護の神として、人々から崇敬を集めてきました。
今日の一首が皆様にとりまして、感じるところがありましたら幸いです!
※写真は、鹿島神宮の拝殿