2025年5月4日調査


陸軍用地
ぼくが住んでいるまちは、軍隊の施設が多い。
戦争に負ける前の陸軍、海軍、いまの自衛隊、軍需工場、軍の鉄道などがある。
結婚してここに越してくるまで、軍の施設には縁がなかった。
だから越してきたばかりのときは、随分と違和感を持ったものだ。
住んでしばからくしてから、せっかく近くに自衛隊の基地があるのだからと、基地が一般開放されている日に、妻と行ってみた。
はじめは、国防についても自衛隊についても、何も知らなかった。
でも、基地に行くと、展示されている装備には必ず隊員がいて、こちらの初歩的な質問にも親切に対応してくれる。
基地訪問を何度かしているうちに、国防について関心が出てきた。
今回の調査も、鎌ヶ谷の海上自衛隊下総航空基地の近くに陸軍標石があることを知り、実際に調査に行ったのである。

昭和20年4月、陸軍は本土防衛を強化するため、鎌ヶ谷に藤ケ谷飛行場をつくった。
4月といえば、戦争が終わる4か月前である。
飛行場は戦争に負けると、当然、米軍に接収された。
その後、日米の共同共用となり、海上自衛隊下総航空基地となった。
標石は基地南端のすぐそばにあった。
【小説】陸軍標石
初夏だった。空は気持ちよく青かったのが、午後になったら鈍色になった。
わたしと妻は、自衛隊の飛行基地のすぐそばの道路を歩いていた。
鉄条網をいただいた高いフェンスが長く続き、ドローン禁止の看板が付いていた。
わたしたちの行き先は、日本陸軍の痕跡である。
なぜ行くのか。なぜ今か。そういう疑問は、どこかの時点で無意味になっていた。
わたしたちは、基地に沿った道をだまって歩いた。空気は、ざらついた静けさに満ちていた。
廃業した鉄工所があった。空気の底から鉄錆の匂いがした。
民家を通り過ぎると、突然、標石が見えた。大きさは思っていたのと違うような、思っていたとおりのような、不思議な気持ちがした。
「陸軍用地」とはっきり彫られていた。
この土地の持ち主が文字を真っ赤に塗っていた。
陸軍に敬意を表しているのだか、いないのだかよく分からない扱いである。
満足だった。
素晴らしいものを見た満足感を覚えた。
わたしは妻に「帰ろう」と言った。
最寄り駅までは、相当な距離があった。
タクシーを呼ぶために、近くの国道まで、またふたり並んで歩いた。空はどんよりとしたままであった。