冷たい雨が降り続いている。春先とはいえ、きのうから急に気温が下がり、まるで冬の残滓が街を覆い尽くしているようだ。

 僕はコートのボタンを締めなおして、冷たい空気を遮断する態勢を整えた。

 駅から出ると、一目散に家に向かう。自分では気づいていないが、いつのまかにか小走りになっていた。

 自宅の玄関の鍵を開けて家に入った。

 リビングに入ると、気が緩んだのか、腹の奥底に鈍い痛みが走った。じわりと滲み出るような鈍痛。何か悪いものでも食べたのだろうか、それとも、冷たい雨のなか長く歩いたせいか。

 ソファにからだを横たえて、痛みが収まるのを待った。しかし、それは次第に強まり、胃のあたりを締め付けるような感覚に変わった。

 「まずいな……」

 そう呟きながら、ソファから立ち上がり、ゆっくりと上着を脱いだ。

 着ていたコートはすっかり湿っており、冷気を含んだ布地が肌に張り付くようだった。どこか遠くで車のクラクションが聞こえる。家の中はひどく静かだった。

 男はリビングへと歩を進め、ソファに腰を下ろした。腹の痛みは波を打つように強弱を繰り返し、そのたびに意識が引き戻される。何が原因なのか、明確には分からない。天候不順のせいで体調が狂ったのかもしれないし、単なる疲れの蓄積かもしれない。

 思えば、最近は妙に疲れやすかった。仕事帰りの電車で、何度もまどろんでは駅を乗り過ごしそうになった。夜中に目を覚ますことも増えた。眠れぬままスマートフォンの画面を眺め、なんの意味もないニュースを惰性でスクロールすることが習慣になっていた。

 「大したことはない」

 そう自分に言い聞かせながら、男はゆっくりと目を閉じる。しかし、まぶたの裏で痛みはなおも形を変え、じわじわと広がっていくようだった。冷たい雨の感触が肌に残っている。あの雨の中を歩いていた自分を思い返す。駅からの道を、ポケットに手を突っ込み、肩をすぼめながら足早に歩いた。傘を持っていたのに開く気にならなかったのは、なぜだったのか。

 不意に、寂しさが胸を突いた。

 雨の日は、昔から苦手だった。幼い頃、母親に手を引かれて歩いた雨の帰り道を思い出す。濡れたアスファルトに反射する街灯の光。冷たい手を握りしめる温かい指。家に帰れば、温かいお粥が待っていた。

 しかし、今はどうだろう。自分の帰りを待つ者はいない。暖房の効いた部屋に、ただ一人、鈍い痛みと共に座っているだけだ。

 男はゆっくりと息を吐いた。今はただ、この痛みが引くのを待つしかない。外ではまだ、冷たい雨が降り続いていた。