2025年5月2日鑑賞
東京都美術館
スペイン人と思われる外国人が多く来場していた。
彼らの多くが家族で来ていた。
子どもは小さく、5歳から10歳ほどであった。
スペイン政府の貿易振興機関やスペイン大手企業の日本駐在員なのであろうか。




ジョアン・ミロ(Joan Miró)が成功した理由は、単に「絵がうまかった」からではなく、彼の独自の芸術言語の創出、そしてそれを支えた時代背景・人脈・戦略的な活動があったからです。以下に詳しく説明します。
【1. 独自の芸術スタイルの確立】
ミロは1920年代から30年代にかけて、以下のような革新を次々と行いました:
夢や無意識を形にする:シュルレアリスムの影響を受けつつ、ダリとは違い、より抽象的・象徴的な形で夢の世界を描きました。
子どもや原始美術に学ぶような「純粋性」:単純な線や記号、鮮やかな色彩によって、誰にも似ていない詩的な画面をつくり出しました。
「アンチ絵画」的態度:キャンバスに火をつける、素材を破壊するなど、伝統的な絵画観を破壊する実験も行い、後の現代美術(例:アンフォルメル、アクション・ペインティング)に影響を与えました。
【2. 画商・評論家との連携】
ミロの成功は、彼を支援した画商・キュレーター・評論家の存在抜きには語れません。
ピエール・マチス(アンリ・マチスの息子)は、ミロのアメリカでの評価を高めるために積極的に展覧会を開き、画商として支えました。
アンドレ・ブルトン(シュルレアリスムの中心人物)も、ミロの幻想的かつ非論理的な作品を高く評価しました。
ミロはパリ、バルセロナ、ニューヨークなど国際的に拠点を広げ、作品を多言語的・多文化的に発信しました。
【3. 評論家たちが評価したポイント】
独創性と詩的感性:ミロの絵は、見たこともないがなぜか心に残る「夢の言語」のようで、多くの批評家に詩的と称されました。
モダンアートの文脈との接続:ピカソやカンディンスキー、クレーなど20世紀初頭の革新者たちの流れを継ぎながら、彼は次の世代への架け橋となるような存在でした。
政治や戦争に対する沈黙の抗議:スペイン内戦や第二次大戦に対して、抽象的表現で人間の本質を訴える姿勢も評価されました。
【まとめ】
ミロの成功は:
「唯一無二のビジュアル言語」を創造したこと
国際的なネットワークと戦略的な活動
批評家に支持されうる時代性と芸術性のバランス によるものです。