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殷汝耕

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地方名望家の家庭に生まれ、1902年(光緒28年)に日本に留学した。日本文学院で日本語を学んだ後、1905年(光緒31年)に第一高等学校予科に入学した。その翌年には、鹿児島第七高等学校造士館に転入している。

この頃、留学生の間で革命思想が流行していたこともあって、留学中に中国同盟会に参加した。なお、殷汝耕は日本留学中に日本人女性と結婚している。第二夫人とされ、これについては、生まれたときに親が結婚相手を決める慣習が中国にあり、単にそのため先夫人に当たる人物がいる形になったからではないかという説もあるが、詳細は不明である。

1911年(宣統3年)に辛亥革命が発生すると、殷汝耕は黄興にしたがって帰国し、湖北省で革命に参加した。中華民国が成立すると、殷汝耕は国民党に加入している。1913年(民国2年)に第二革命(二次革命)が勃発すると、殷汝耕は革命派としてこれに参加した。しかし革命派は敗北し、殷汝耕は再び日本へ留学する。日本では、兄の殷汝驪が欧事研究会の発起人に名を列ね、殷汝耕もまたその構成員となった。

早稲田大学政治学科を卒業した後の1916年(民国5年)に、殷汝耕は帰国した。当初は北京政府に入り、中国銀行から委託された調査のため、またしても日本に赴いている。その翌年に護法運動が勃発すると、孫文(孫中山)の護法軍政府により、殷汝耕は駐日委員に任命された。

引用:Wikipedia

 

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