台湾 連戦 北京に出発  13日に習近平氏と会談予定

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(写真出典:ウィキペディア)


(桃園空港 12日 中央社)野党・国民党の連戦元副総統が12日、中国・北京に向けて桃園国際空港を出発した。13日には共産党総書記の習近平氏と面会する予定。連氏は出発前、報道陣の取材に対し、今回の訪問が習氏の招きによるものだと明かし、会談で話し合う内容については「戻ってきたら報告する」と述べた。

訪問には、各界の関係者約50人が同行。訪問団に参加する連氏の息子の連勝文氏は、今回は大陸側の招待で交流イベントに参加するのが主な目的だとし、交流イベントによって現在の不透明で緊張した両岸関係にプラスの反響をもたらしたいと語った。
(出典:http://japan.cna.com.tw/news/apol/201807120005.aspx)

連戦は副総統として、李登輝総統とともに国政にあたっていた。

そのことから台湾寄りの政治家と見られていた。

しかし、2000年に入ると中国寄りの行動が多くなっていった。

以下は、連戦がどういう人物かが書かれたもの。ウィキペディアからの転載。分かりやすくまとまっているので紹介する。

本籍は台湾台南市。字は永平。台湾籍の父・連震東と、中国籍(瀋陽出身)の母・趙蘭坤の間に生まれた(俗に「半山」といわれる)。父・震東は、内政部長、総統府国策顧問などを務めた国民党の大物。震東が中国西安で国民政府の工作活動に従事しているときに連戦が出生した。祖父・連横は、日本統治時代、「台湾通史」を著した学者で「抗日大詩人」と呼ばれた。国民政府が日本に「連戦連勝」するよう祈念して孫の名前を連「戦」と名付けたが、孫・連戦が誕生する2か月前に上海でこの世を去ったという。

台湾大学政治学部卒業後、1959年にアメリカのシカゴ大学へ留学し、論文「台湾の土地改革」で修士号、論文「中共はなぜ胡適を批判するのか」で政治学博士号を取得した。ウィスコンシン大学マディソン校、コネチカット大学で助教授を務めた後、1968年に台湾に帰国し、台湾大学政治学部主任、政治研究所所長を長年務めた。同時期に、政府が国立政治大学国際関係研究センターに設けた外交と経済に関する研究グループに加わり、国連総会の中華民国代表団顧問にもなった。

1975年、駐エルサルバドル大使に任命され、翌年から中国国民党での政治活動が本格化した。蒋経国総統のもと交通部長、行政院副院長(副首相)を務め、頭角を現した。李登輝政権では、外交部長、台湾省政府主席を歴任し、1993年には国民党副主席兼行政院長(首相)に就任、党内ナンバー2となる。1996年総統選で、李登輝総統とペアで当選し、中華民国の歴史上初めての民選副総統に就任した(行政院長を1997年8月まで兼務)。

2000年総統選に李登輝の後継として出馬(副総統候補は蕭万長)したが、国民党の実力者で大衆的人気のあった宋楚瑜が離党して出馬し、分裂選挙となった。結果は民進党の陳水扁に敗れ、宋楚瑜候補にも大きく差をつけられ3位に甘んじ、中華民国(台湾)史上初の政権交代を許した。しかし、李登輝が惨敗の責任を問われて党主席辞任に追い込まれると、2000年7月、国民党主席に選出され、党内ナンバー1となる。

2004年総統選では、4年前に分裂選挙を戦った宋楚瑜・親民党主席を副総統候補として再出馬するも、再び現職の民進党・陳水扁にわずか3万票弱の僅差で敗れた。投票直前に発生した陳水扁・呂秀蓮ペアに対する銃撃事件が陳水扁に有利に働いたとの観測に乗じて、支持者の前で「選挙は無効」「陳水扁銃撃事件は自作自演だ」と訴える抗議を表明し、支持者を巻き込んで数日間にわたり抗議デモを行った。一方、民進党支持者からは名前の由来をもじり「連戦連敗」と揶揄された。

もともと李登輝に重用された本省人であることから国民党内「本土派」とみられていたが、2001年には連邦制に近い邦聯制(中国語版)を中台関係の理想に掲げ[1]、2005年4月26日から5月3日にかけては初めて中国を訪問し、胡錦濤中国共産党総書記(国家主席)との会談を実現した。野党のトップとはいえ、国民党と共産党の首脳会談は60年ぶりで(1945年の蒋介石・毛沢東の重慶会談以来)、中台分断後つまり中華人民共和国成立後はもちろん初めてであった。政権与党や李登輝らからは、共産党が長年唱えてきた「第三次国共合作」に乗せられている、政権の方針に反した越権行為であるなどとして、売国奴などと激しい批判を浴びた。

2005年7月には、国民党主席を退き、新設の名誉職ポストである国民党名誉主席に就任した。その後も中国首脳部から厚遇され、2006年4月と2008年8月(北京五輪開幕式に出席)、同年12月にも訪中し、胡錦涛ともたびたび会談している(呉伯雄に代わって国民党主席に就いた馬英九はいまだ一度も訪中していない)。2008年11月のAPECリマ会議に過去最高位の台湾代表として参加した際にも、胡錦涛との間で初のAPEC中台代表者会談を行った。2008年12月の訪中では祖父・連横の記念館開館式に出席している。2010年の上海万博開幕式にも出席し、2015年の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典にも出席した。
(出典:ウィキペディア)