2026/1/28
蓬田修一

わたしは、「革新的勢力」と呼ばれる人々の言動に対して、しばしば強い違和感を覚える。その代表的なものが、「国家を信用していない、あるいは国家権力を強く批判しているにもかかわらず、国家が提供するさまざまなサービスを当然のように享受しているのはなぜか?」「矛盾しているのに、なぜ彼らは国家サービスを当然に受けるのか」という違和感だ。

年金、医療、公共インフラ、災害時の自衛隊による救助活動など、国家の制度や組織によって支えられ提供されるサービスを、彼らは平然と受けている。

この稿では、革新的勢力の人々がこの「矛盾」(わたしには矛盾に感じる)をどのように理解し、どのような理論的背景のもとで説明しているのかを整理した。さらに、それでもなお残る違和感についても考えた。


国家を「一枚岩」として見ないという発想

まず押さえておくべき点は、革新的勢力の多くが、国家を単一で一体の存在として捉えていないということだ。彼らにとって国家とは、常に二つの顔を持つ存在だ。

一つは、軍事力や警察力を背景に、法と秩序を強制する「権力装置」としての国家である。安全保障、治安維持、統治といった分野は、暴力の独占という性格を避けて通れず、歴史的にも国家による抑圧や戦争、差別と結びついてきた。この側面に対して、革新的勢力は強い警戒心と不信感を抱く。

もう一つは、社会保障や公共サービスを通じて、人々の生活を支える「公共的機能」としての国家である。年金、医療、教育、インフラ整備、災害救助などは、個人や市場だけでは担えない領域であり、国家が果たすべき役割だと考えられている。

革新的勢力は、前者を批判の対象としつつ、後者は市民が当然に享受すべきものだと位置づける。このため、「国家を信用していないのに、なぜ国家サービスを受けるのか」という問いに対して、彼らは「信用していないのは国家権力の行使であって、市民の権利としての公共サービスではない」と答えるのである。


国家からは離脱しない

この考え方をさらに支えているのが、近代政治思想に由来する主権者意識である。社会契約論の流れを引く思想では、国家は国民の上に君臨する存在ではなく、国民が自らの意思によって作り出した制度的な装置にすぎない。

この立場からすれば、年金や医療、福祉は国家から「与えられるもの」ではない。国民が税や保険料を通じて拠出し、政治参加を通じて制度を形作ってきた結果として存在するものであり、本来は国民自身のものである。したがって、それを利用することに道義的な後ろめたさや矛盾はない、という理屈になる。

革新的勢力が「国家を信用しない」と語るとき、それは「国家に従属しない」「国家を無条件に正当化しない」という意味合いが強く、国家制度そのものから離脱することを意味していない。


自衛隊をめぐる典型的な違和感

この問題が最も分かりやすく表れるのが、自衛隊の存在をめぐる議論である。自衛隊に反対する人々が、災害時には自衛隊の救助を受ける。この光景に対し、わたしは「それは都合が良すぎるのではないか」「理屈の上では救助を拒否すべきではないか」と感じる。

しかし革新的勢力の側は、ここでも「機能の切り分け」を行う。彼らは自衛隊の軍事的役割、すなわち武力行使や戦争への関与に反対しているのであって、人命救助や災害対応という役割そのものを否定しているわけではない。むしろ、国家組織は本来、国民の生命と生活を守る方向にこそ力を使うべきだ、という主張に基づいている。

このため、救助を受けることは矛盾ではなく、「国家が果たすべき最低限の責務を果たしているにすぎない」と理解される。

わたしが直接見聞きしたエピソードではないが、こんな話があった。被災を受けた人のもとに自衛隊が救助に駆け付けた。被災者の男性は幸い命に別条はなかったが、倒壊した家屋に家族が残された。自衛隊員は家族の救助にあたった。懸命に救助を行う自衛隊員に対して、その男性は「おまえたち自衛隊員はおれたちの税金で給料をもらっているのに、なぜ家族を救い出せないのだ!」という趣旨の罵声ともとれる発言を発したという。

倒壊した家屋のなかにいる家族を思う男性の辛い気持ちは、十分に同情する。しかし、それを考慮しても、この言葉には違和感を覚えた。

この男性の思想信条は分からない。ただ、革新勢力の「機能の切り分け」を知ったいま、なぜこの男性はこのような言動をしたのか、その理由は推測できる。


批判理論が思想的影響を与える

こうした考え方の背景には、フランクフルト学派に代表される「批判理論」の影響がある。批判理論の基本姿勢は、国家や制度、権威を「正しいもの」として前提するのではなく、常に疑い、問い直すことにある。

重要なのは、彼らが現実社会からの完全な離脱を目指しているわけではない点である。むしろ、制度の内部に身を置きながら、その矛盾や抑圧性を批判し続けることが、知識人や市民の責任だと考える。このため、「国家の枠組みの中で生きながら、国家を批判する」という姿勢は、理論的には一貫しているとされる。


選挙で行動する

こうした革新勢力の人たちと、わたしは分かり合えるとは思えない。中には年配になって、保守へ転向する人もいる。でも圧倒的少数派だ。

わたしたちは主権者として、選挙では革新勢力が支持する候補者には投票しないことが、まず行うべきだと思う。