2025/12/31
M&C・蓬田修一
日本における中国報道をめぐって、わたしは長年にわたり多くの違和感や疑問を感じてきました。テレビ、新聞、通信社といった既存の大手メディアの中には、中国政府の立場にかなり配慮した、あるいは中国側に重心を置いた報道が目立ちます。こうした認識は、決して一部の特殊な人々のものではなく、国際政治や経済に関心を持つ一般の社会人の間でも、広く共有されつつあるように思います。
まず前提として確認しておきたいのは、メディア事業者もまた企業である、という点です。新聞社や出版社は民間企業であり、自らの編集方針や思想的立場を持つこと自体は、否定されるべきものではありません。
仮に「中国の意見を尊重する」「中国市場との経済的結びつきを重く見る」といったスタンスを前提にコンテンツを作るとしても、それは企業の経営判断、あるいは思想信条の自由の範囲内だと考えます。読者や視聴者は、その姿勢を理解した上で、距離を取るか、受け入れるかを選択することができます。
しかし、問題は放送局、とりわけテレビ局の場合です。放送局は「電波」という公共の資源を使って情報を発信しています。電波は限られた公共物であり、誰もが自由に使えるものではありません。だからこそ、放送事業者には高い公共性と中立性が求められています。特定の国や思想、政治体制に肩入れした偏向報道は、本来許されるべきではない、というのが多くの人が共有してきた認識です。
この点を考えるとき、避けて通れないのがNHKの存在です。NHKは国営放送、あるいは少なくとも「公共放送」と位置づけられ、受信料によって運営されています。つまり、視聴者である国民が、半ば強制的に支えているメディアです。そのNHKに対しては、民放以上に厳格な中立性、公平性が求められるのは当然でしょう。
ところが現実には、NHKの中国や朝鮮半島をめぐる報道や番組作りについて、「特定の国の利益を代弁しているのではないか」と感じさせる事例が、繰り返し指摘されてきました。
もしこれが事実であるならば、単なる編集方針の違いでは済まされない、極めて深刻な問題です。公共放送が、取材対象者の意図や発言をねじ曲げてまで、特定の政治的方向性を強調するのであれば、それは報道機関としての信頼を根底から揺るがす行為であり、国益を損なう許さざる行為だからです。
では、なぜNHKでこうした問題が繰り返されるのでしょうか。その背景には、いくつかの要因が重なっていると考えられます。一つは、戦後の日本社会全体を覆ってきた歴史認識の問題です。GHQ占領下で、日本の過去を一方的に否定し、日本人自身に強い自虐的歴史観を植え付ける教育や報道が行われたことは、よく知られています。NHKの職員の中にも、こうした歴史観をほとんど無自覚に前提としながら仕事をしている人が少なくないのではないか、という指摘には一定の説得力があります。
また、NHKの内部に中国人や朝鮮半島出身の職員が多い、という話もよく耳にします。この件については、多様なバックグラウンドを持つ職員がいることによって、コンテンツの質が上がる、という言い方は通用しません。国営放送は、基本的に外国人の職員を採用していはいけないと考えます。もし、日本と外国人職員の母国との戦争が始まったとき、外国人職員は日本の国益に沿ったコンテンツづくりができるか、大変に疑問です。
さらに、NHKの組織文化そのものに、「自分たちは正しいことを知っており、国民に正しいことを教えてあげる」という、上から目線の意識があるのではないか、とも感じます。これは共産主義的、あるいはレーニン主義的とも言える発想であり、「社会がよくなるための正しい考え方を持つエリートが、そうでない大衆を導く」という構図です。もしそうした意識が職員のうちに無意識のうちに共有されているとすれば、報道が中立性を失い、国益を損なう啓蒙や誘導に傾いていくでしょう。
もちろん、NHKのすべてを否定することはできません。災害時の迅速で正確な情報提供など、公共放送として不可欠な役割を果たしているのも事実です。しかし同時に、報道のあり方、組織文化、歴史認識をめぐる問題について、社会全体で真剣に議論されるべき段階に来ているのではないでしょうか。