2025/12/22
蓬田修一

日本の政治を理解するうえで、「政党政治」は避けて通れないテーマである。しかし、現在の国会運営や政党間の議論を見ていると、従来の政党政治がその役割を十分に果たしているのか、疑問を抱く人も少なくないだろう。その感覚は、決して個人的な印象にとどまるものではなく、日本政治の歴史的流れの中でも説明可能な現象である。

日本に政党政治が本格的に登場するのは、明治維新後しばらく経った1880年代以降である。維新直後の政治は、薩摩・長州など旧藩出身の指導者による藩閥政治であり、国家の最優先課題は富国強兵と中央集権国家の建設だった。この段階では、政党は国家運営の担い手ではなく、むしろ秩序を乱す存在と見なされていた。

しかし、納税者層の拡大や地方名望家の台頭、西洋の憲政思想の影響を受けて、自由民権運動が高まり、政党が誕生する。1890年の帝国議会開設により政党は制度上認められるが、内閣は天皇大権に基づき、軍部も政治から独立していたため、政党政治はあくまで限定的なものだった。

転機となったのは第一次世界大戦後の大正期である。原敬内閣に代表される政党内閣が成立し、普通選挙法も実現した。この時代、政党は初めて「国家を運営する主体」としての自覚を持つようになる。ただし、政党の腐敗や金権政治、軍部との緊張関係も同時に深刻化していった。

1930年代に入ると、世界恐慌や対外膨張の中で政党内閣は危機対応能力を失い、最終的に政党は解体され、戦時体制へと移行する。ここで日本は、政党政治が国家危機に対応できなかったという強い歴史的記憶を残すことになる。

戦後、日本は占領改革を通じて議会主権と政党政治を再構築する。1955年に成立したいわゆる「55年体制」は、自民党が政権を担い、野党が批判と監視を行うという役割分担型の政党政治だった。この体制は高度経済成長と結びつき、長期的な安定をもたらしたが、次第に政党は国家像を語らず、官僚主導の政策運営を追認する存在へと変化していく。

2000年代以降、グローバル化、人口減少、安全保障環境の変化が進む中で、有権者は再び政治に「方向性」や「覚悟」を求めるようになった。結果として、政党名やイデオロギーよりも、政治家個人の姿勢や発言、実行力が重視される傾向が強まっている。

現在の日本政治は、政党制度そのものが消滅しつつあるというより、20世紀型の政党政治が限界に達し、再定義を迫られている段階と見るのが妥当だろう。政党は今後、単なる利害調整装置ではなく、国益とは何か、国家として何を優先するのかを明確な言葉で示すことが求められている。