はじめに

 老舎の代表作『駱駝祥子』(1936年)は、1930年代の中国北京を舞台に、真面目で努力家な青年・祥子が、都市の現実と社会の暴力に翻弄され、ついには無気力で堕落した存在へと変貌していく過程を描いた長編小説である。本作は、中国近代文学においてリアリズム小説の金字塔とされ、社会主義文学以前の段階における都市労働者文学の到達点として高く評価されている。

 なかでも本稿が注目するのは、「なぜ祥子は堕落してしまったのか」という問題である。本稿では、祥子の性格や価値観の変化に焦点を当て、その堕落が単なる個人的挫折ではなく、社会構造の圧力によって引き起こされたものであることを明らかにする。

初期の祥子――「自立」への希求

 物語の冒頭に登場する祥子は、勤勉で誠実、他人に頼らずに生きていこうとする独立志向の青年である。彼は「自分の人力車を買う」ことを人生の目標に掲げ、日々真面目に働いて金を貯める。作中では、「他人の車に乗るより、自分の車で泥まみれになるほうが気持ちがよかった(老舎,2006:13)」という描写があるように、彼にとっての労働とは、苦役ではなく尊厳の証であった。  

 このような祥子の人物像は、当時の中国において新しく登場しつつあった「近代的個人」の理想を体現している。自立と自己努力によって人生を切り拓くという考え方は、清朝崩壊後の動乱のなかで台頭してきた新しい社会観の反映であり、それまでの家族や共同体に依存する価値観とは異なるものである。

社会的暴力と夢の崩壊

 しかし、祥子の夢は三度にわたり外部から打ち砕かれる。まず一度目は、軍隊に徴発されて人力車を奪われたときである。祥子は無理やり連行され、過酷な労働を課される。二度目は、結婚を迫られた虎?の死によって、一家を支える立場となる責任がのしかかる。

 三度目は、ようやく貯めた金を持って新しい車を買おうとしたとき、詐欺に遭って全財産を失った場面である。この最後の事件のあと、祥子は完全に「変わってしまった」。老舎はその変化をこう描いている。

「以前の祥子は、夢を持っていた。だが、今や夢を見ることすら面倒になった。人間には努力など無意味だということを、彼は骨の髄まで思い知らされた」(老舎,2006:142)

 ここでの祥子の変化は、単なる疲弊ではなく、「努力という価値観そのものの崩壊」である。誠実であること、まっすぐに働くことが、報われるどころか裏切られ続ける。それが積み重なった結果、彼のなかにあった倫理観や社会への信頼は完全に瓦解する。

堕落することの「選択」

 興味深いのは、祥子の堕落が受動的なものではなく、「選択」の結果として描かれている点である。彼は、三度目の金銭喪失のあと、あえて堕落の道を選ぶ。つまり、「善良でいる理由がない」と自ら判断し、不誠実に、だらしなく生きることを決めるのだ。

「彼はもう自分を律しようとはしなかった。正直者が損をするなら、ずる賢く生きるしかないではないか。彼はただの車夫から、ずるくてつまらない男になっていった」(老舎,2006:153)

 これは一種の「否定的自由」である。何かを獲得するための自由ではなく、もはや何ものにも従わないという投げやりな自由であり、そこには抵抗の意志と諦念が交錯している。このような「無気力の選択」は、都市労働者が直面する現実の非人間性を象徴している。

努力の無力化と時代精神の反映  

 祥子のような人物が崩れていく過程を、老舎は決して情緒的にではなく、冷静な筆致で描いている。その筆致は、当時の北京語を取り入れた口語体によるものであり、リアルでありながらも読者に距離感を与える効果を持つ。この語りのスタイルもまた、物語が単なる私小説や悲劇的物語に堕さず、社会全体の構造的問題として読まれることを可能にしている。  

 加えて、祥子の挫折は、「近代化=進歩」とする当時の社会思潮に対する批判的視点を孕んでいる。近代化がもたらした個人主義や都市経済の発展は、結果として弱者を切り捨てる新たな暴力の形を生み出した。祥子はその犠牲者であり、彼の敗北は時代の欺瞞を暴露する文学的装置となっている。

おわりに

 以上見てきたように、『駱駝祥子』における祥子の堕落は、単なる個人の弱さによるものではなく、都市社会の非人間的構造に起因する「希望の無力化」の物語である。老舎は、近代の価値観に依拠して努力する個人がいかに容易く裏切られ、堕落していくかを冷静なまなざしで描きながら、「努力」という言葉がもはや信頼されえない時代の到来を告げている。

 祥子の無気力は、そのような時代精神の象徴であり、本作のリアリズム文学としての価値を決定づけているのである。

(蓬田修一)


引用・参考文献

老舎『駱駝祥子』松枝茂夫訳、岩波文庫、2006年。

井口晃『老舎とその時代――中国近代文学の光と影』勉誠出版、1998年。

藤井省三『現代中国の文学空間』岩波新書、1993年。