令和7年の春、ぼくは下志津に陸軍飛行学校があったのを知った。
いまは陸上自衛隊の下志津駐屯地となっていた。

日本が降伏すると、アメリカは日本を占領した。
占領地の様子を知るため、アメリカ軍は日本の各地を空撮した。
昭和22年に空撮した下志津飛行学校の写真を見た。
滑走路らしきものはないようだった。
ここでは飛行に必要な座学や地上訓練を行っていたようだ。

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R535-64
1947年11月12日、米軍撮影の航空写真を加工
陸軍は昭和16年、東に10キロほど離れた場所に、陸軍下志津飛行学校八街分教場(通称:八街飛行場)を設置した。
空撮写真を見ると、滑走路があった。

下志津陸軍飛行学校八街分教所跡(1947年)
通称「八街飛行場」
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

乙式一型偵察機

一〇〇式司令部偵察機二型
現在、同地には陸上自衛隊下志津駐屯地が置かれている。
令和7年の記念式典のとき、基地が一般開放され、参観した(下の写真)。

国旗を掲揚する旗手と国旗を守る衛兵は、式典のあいだ、直立していた。
ぼくは、国旗、旗手、衛兵を後ろからじっと見つめた。
突然、強い風が吹いて、国旗がはためいた。
そのとき、旗手のからだが少しだけ横に動いた。
そのとき以外、旗手はからだを動かすことなく、国旗を掲揚し続けた。