
1959年、台北県(現:新北市)で炭鉱労働者の息子(6人きょうだいの5番目)として生まれたが、生後3か月の時に父親を炭鉱事故で亡くし、母親は拾った石炭を売るなどして生計を立てた。
国立台湾大学医学部リハビリ学科、国立成功大学学士後医学科卒業、ハーバード大学で公衆衛生の修士号を取得。
台南市の国立成功大学医学部附属病院に内科医として勤務し、1994年に台湾省長の直接選挙が実施された際、民主進歩党所属の候補だった陳定南の台南医師後援会会長を務めた[11]。
1995年~1996年の第三次台湾海峡危機を契機に政界入りを決め[11]、1996年3月23日、国民大会代表(第3期)に当選[12]。
1998年12月5日、立法委員(第4期)に初当選[13]し、2008年の第7期まで連続当選[14][15][16]。
2010年11月27日、台南市長に当選[17]。2014年11月29日、再選された[18]。
2015年2月28日、二・二八事件の犠牲者を追悼する集会に出席し、台南市内の学校に設置されている?介石の銅像を撤去する方針を明らかにした[19]。同年3月21日、外省人らの反対に遭った一部を除き、銅像が市によって撤去された[20]。
2017年9月5日、蔡英文政権下で行政院長に指名され、9月8日に就任した[21][22][23]。
2018年11月24日に実施された統一地方選挙で与党・民主進歩党が大敗したことを受けて行政院長を辞任すると申し出たが、蔡英文総統に慰留されいったんは留任した[24]。
2019年1月10日に次年度予算案が議会を通過したことを受け、翌11日に内閣総辞職[25][26]。同日、行政院長を辞職[27]。
2019年3月18日、2020年1月に予定される総統選挙への立候補を表明。同日、民主進歩党としての総統選挙候補を決める予備選挙へ立候補[28]。
同年6月13日に行われた予備選挙では蔡英文に敗れた[29]。
同年11月17日、蔡英文が、副総統候補に起用することを発表する[30]。
2020年1月11日に行われた2020年中華民国総統選挙で蔡英文が再選したことに伴い、中華民国副総統への就任が決まる[31][32]。
2022年12月16日、蔡英文の辞任に伴う民主進歩党主席選挙への立候補を届け出た。頼以外に立候補の届け出がなく[33]、2023年1月15日に選出され[34]、同月18日に就任した[35]。
2023年4月12日、2024年中華民国総統選挙における民主進歩党予備選挙には頼清徳以外の届け出がなく[36]、正式に候補者に選出された[37]。
2024年1月13日に行われた総統選挙では得票率40.05%で初当選を果たした
[38]。
2024年5月20日に行われた第16代中華民国総統就任式典で総統に就任した。
※Wikiより
