江戸時代、千葉県の船橋市、習志野市、松戸市、鎌ヶ谷市にかけて、広大な幕府の牧場があった。
ここでは軍事用の馬や農耕用の馬を放し飼いで育てていた。
船橋市の二和エリアに残る牧場の土手を見学してきた。
場所は船橋市の二和(ふたわ)小学校の南側である。
この土手は、二和(ふたわ)と三咲(みさき)の境界に沿って作られている。
実際に見て驚いたが、大変に立派な堂々とした土手だ。
土手をはさんで両側には道路が走っている。
道路の幅はクルマ1台が通れるほどで細い。
一見すると、2本の細い道はそれぞれ通行方向が逆に定められているように見えるとが、実際は2本の細い道とも両方向の通行が可能となっている。
わたしが見学に訪れたときも、それぞれの道は一方通行だと勘違いしたドライバーが、前から来た車を指差して、あの車は逆走している、あの車は間違っていると、私に文句を言った。
ところで、二和(ふたわ)とか三咲(みさき)とか、耳にも目にも心地よい地名は、明治維新になりここに入植してきた人たちが付けたものだ。
この地名の名づけ方はとても興味深いが、それはまた別の機会に説明したい。
土手に戻るが、この土手は牧場とそうでない場所(農地)を隔てるための土手ではない。
野生で育てた馬を捕込(とっこめ)へという場所へ追い込むための土手である。
捕込はこの土手の北側にあったという。二和小学校のあたりであろう。
この捕込(とっこめ)についても興味深い話があるので、別の機会に紹介したい。