HISTORY

千住本陣跡

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令和五年9月2日取材

本陣跡は、細い道の左側一帯、クリニックの後ろ側であった。

本陣跡地を、旧日光街道側から見た。

日光街道に面しているこちら側が正面だったのかもしれない。

100円ショップのビル、そしてその後方一帯が本陣跡である。

跡地には、商業ビルや民家が立錐の余地なく建ち、本陣の面影はまったくない。

地元の年配のかたに話を聞いたが、遺構も残ってないようである。

足立区ホームページより。

千住宿本陣、市郎兵衛の屋敷跡地は、旧道三丁目の南西側角地にあります。そこにこの標柱が立っています。
宿泊施設には、本陣・脇本陣・平旅小屋(ひらはたごや)・食売旅籠屋(めしうりはたごや)等の区別がありました。それぞれ格式が異なり、宿泊客にも相違がみられ、中でも本陣は最も格式が高く、主に一万石以上の大名・公卿・高僧等、身分の高い人が宿泊していました。
千住宿の本陣は、初期は二軒ありました。享保19年(1734)の宿内伝馬図によると、三丁目市郎兵衛と四丁目嘉左衛門に本陣の肩書があります。しかし、四丁目分はいつしか消滅し、今日記録に残っているのは、市郎兵衛一軒だけです。
市郎兵衛の屋敷の規模は、間口9間半(約17m)、奥行38間(約69m)、361坪の広さで、屋敷内に建坪120坪、玄関付門構えの建物でした。
市郎兵衛は、千住・草加・越谷・粕壁(春日部)・杉戸の五宿本陣の総代を勤めたといわれています。

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きょうの取材では、上記説明にある「標柱」には気づかなかった。

地元年配のひとによると、標柱の周りには、近隣商店などに来る人の自転車が駐輪してあり、標柱は大きくないこともあり、見つけにくいとのこと。

後日、改めて取材したい。

また、跡地説明板は「千住本陣」、足立区ホームページは「千住宿本陣」という表記で、それぞれ異なっている。

恐らく、どちらの言い方も通用していたのだろう。




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