2026/1/19
蓬田修一

なぜ三島の文学は、半世紀以上を経た今もなお読み返され、語られ続けているのだろうか。

結論から言えば、三島由紀夫は「新しい文学を切り開いた作家」というよりも、日本の近代文学が到達し得た、最も完成度の高い極点を体現した作家である。

言い換えれば、近代文学を極限までやり切ってしまった存在だ。だからこそ、その作品は完璧で、隙がなく、芸術的である一方、読者の日常感覚とは必ずしも親密にならない。その独特の距離感こそが、三島文学の本質なのである。

まず否定しがたいのは、三島由紀夫の文章がもつ圧倒的な完成度だ。語彙の選び方、文のリズム、比喩の精度、構文の緊密さ――そのすべてが、きわめて高度に統御されている。

文章そのものが、まるで緻密に設計された建築物や彫刻作品のように立ち上がってくる。この日本語表現の完成度は、漱石の思索的な文章や、谷崎潤一郎の官能的な文体を強く意識し、それらを継承しながら、意図的に磨き上げた結果だと言えるだろう。

三島にとって文体とは、自然に生まれるものではなかった。感情がそのまま流れ出るものでもない。文体は、意志と訓練によって作り上げるものだった。

その意味で、三島は「職人的作家」というより、「造形作家」である。言葉を素材にして、美の形を徹底的に彫り上げる作家だったのだ。

こうした姿勢が、三島文学に「隙のなさ」をもたらしている。彼の作品には、ためらいや揺らぎ、書き手の弱さといったものが、ほとんど入り込まない。

私小説的な「さらけ出し」とは正反対の方向にある。田山花袋が「醜い私」を暴露し、太宰治が「弱い私」を語り、石原慎太郎が制御不能なエネルギーを放出したのに対し、三島は「私」を徹底的に美的に管理する道を選んだ。

自我を露出させるのではなく、統御し、造形する。その「管理された自我」こそが、三島文学の大きな特徴である。

三島由紀夫が一貫して問い続けたテーマも、非常に古典的で根源的なものだった。生はなぜ醜くなるのか。美はなぜ壊れるのか。肉体はなぜ精神を裏切るのか。

これらは戦後という時代に固有の問題ではない。むしろ三島は、戦後民主主義や合理主義、平等主義といった価値観の外側に立ち、人間存在そのものが抱える悲劇性を描こうとした作家だった。

その意味で、三島は戦後文学の主流から意識的に距離を取っている。多くの戦後作家が、倫理や反省、社会批評を軸に「時代に生きる人間」を描いたのに対し、三島は「時代を超えた人間像」を作ろうとした。

だからこそ、社会の変化に左右されにくい一方で、読者の生活感覚からは距離が生まれる。このズレが、三島文学を読みにくくも、同時に古びにくくもしている。

改めて問おう。なぜ三島由紀夫の評価は、今なお持続しているのだろうか。

それは、三島文学が近代文学そのものの可能性と限界を、作品として可視化しているからだと言える。三島は美を突き詰め、自我を統御し、言葉を完成させた。

しかし同時に、それは読者との距離を広げ、現代的な共感を失うことでもあった。到達点と破綻の両方が、これほど明確な形で示された作家は、他にほとんどいない。

三島由紀夫の文学は、共感を求めない。読者を慰めない。読者と並走しない。読者がそこに違和感を覚えるのは、きわめて自然なことだ。

三島由紀夫は、日本近代文学が生んだ、最初にして恐らく最後のしかも最も完成度の高い作家である。

その文学は、私たちに寄り添うことは少ない。しかし、日本文学がどこまで行くことができたのかを示す、動かしがたい基準点として存在し続けている。

読者が感じる距離感こそが、三島文学の本質であり、彼が今なお文学史から消えない理由なのである。