2026/1/19
蓬田修一

鄧小平時代(1978年~1992年)には、中国の政治、経済、そして対外政策において大きな変化がありました。特に改革開放政策により、中国は急速に市場経済へと移行し、外資を積極的に受け入れ、日本を含む先進国との関係が深まった時期です。

そのため、反日的な教育が現在ほど強化されていたわけではありませんが、政治的・経済的な背景においていくつか重要な要素があります。以下、鄧小平時代の反日教育に関する背景を整理してみます。

1. 鄧小平と日本の関係

鄧小平は、中国の改革開放政策を主導し、外資導入技術の吸収を重視しました。日本の技術力や資本主義社会への親和性を評価し、日本と良好な関係を築くことが中国の経済成長にとって不可欠だと考えていました。実際に、鄧小平が1980年代初めに日本を訪問した際には、日中友好を推進する姿勢を示しました。この訪問の中で日本との経済協力を強化し、技術導入と資本協力を呼びかけました。

2. 反日教育の位置づけ

鄧小平時代の反日教育は、今ほど強烈なものではなかったといえます。改革開放により、中国の国際的な立場は次第に変化し、経済成長が進む中で、反日感情が高まるような要因は限定的でした。

しかし、反日教育は一部で行われており、主に歴史教育として、特に日中戦争に関する内容が強調されていました。

この時期の中国政府は、日本との経済協力を進めていたため、反日教育は必ずしも全面的に強調されることはなかったものの、日本の侵略を強調し、反日感情を煽る面もありました。

中国共産党政府の中には日本との経済協力を進めたいと考えている勢力と、歴史的な問題を強調する勢力があり、政策のバランスを取る必要がありました。

3. 鄧小平時代の対外政策と中国共産党の立場

鄧小平は、経済発展を最優先する立場を取り、国内改革を進める一方で、外交面でも対外開放を進めました。反日教育は完全に停止されたわけではなく、日本との関係を強化するためには、中国の歴史問題過去の戦争責任に触れず、経済協力に重点を置く姿勢が見られました。

日本が改革開放政策に協力し、技術提供を行う中で、中国政府は一部の日本の企業や技術者に対して感謝の意を示しつつも、政府の教育システムでは日本の侵略戦争責任を強調する内容を残しました。

反日教育は常に存在しつつも、経済優先の立場から強調されることは少なかったといえます。

4. 反日教育の強化と社会変動

鄧小平時代が進む中で、中国社会は市場経済に徐々に開放され、日本をはじめとする外資を受け入れ、経済的に発展を遂げました。

しかし、経済発展と同時に、国内の社会的不満や矛盾も高まり、特に政治的改革に対する要求が高まる中で、中国共産党の正当性を保つための手段として、歴史教育やナショナリズムの強化が行われるようになりました。

1990年代に入ると、特に1989年の天安門事件以降、中国共産党は自らの政権の正当性を強化する必要性を感じ、反日教育や民族主義的な言論をより強化し、国民の支持を得るためにナショナリズムの鼓舞が進みました。

そのため、反日教育も徐々に強化され、特に歴史問題領土問題(例えば、尖閣諸島沖縄)を巡る議論が活発化しました。

5. 反日教育の加速

1990年代に入ると、日中戦争や日本の戦争責任に関する教育が強調されていきました。1990年代後半の日本の教科書問題日本の首相の靖国神社参拝問題など、日本への内政干渉も行いました。

まとめ

鄧小平時代(1978年~1992年)は、改革開放政策により中国が急速に経済成長を遂げた時期でした。この時期、中国政府は日本との経済協力を強化し、日本の技術や資本を取り入れることで、国内経済の近代化を進めました。

そのため、いまほどの強烈な反日感情をあおるような教育はなされませんでしたが、完全には消えることはなく、むしろ後の時代に向けて強化される土壌が作られたともいえます。