令和7年7月21日調査

以下は、案内板の説明である。

樺崎八幡宮は、足利義兼が建久十年(一一九九) 三月八日、生入定(いきにゅうじょう)した地にその子 義氏が八幡神を勧請し、義兼の霊(義称命 ぎしょうのみこと)を合祀したことに由来する。

本殿は、天和年間(一六八一~一六八四)の再建といわれ 一九八八~八九年の保存修理で、本来の造りである隅木入春日造(軒唐破風 のきからはふ)に復元された。

向拝(こうはい)の柱の頂部に付けられた獅子や膜(ばく)の彫物、手挟(たばさみ)や海老虹梁、蟇股(かえるまた)内の彫刻等、時代性を表し、意匠上も卓越したものがあり、歴史的由来を含め、価値の高い建造物である。
(昭和六十一年九月二十四日 足利市指定)

足利義兼は、奥州藤原氏との合戦に出発した文治五年 (一一八九)、この地に樺崎寺を創建した。

久四年(一一九三) 以降、諸堂を整備し、入定。

義氏以後は歴代当主の廟所と して鑁阿寺とならぶ足利氏の重要な寺院として発展した。

足利将軍家の衰退とともに庇護者を失い、明治時代以降 の神仏分離令によって樺崎八幡宮となった。

本堂までのぼり振り返って景色を見た。

田畑が広がり、すの向こうには小高い山がある。

気持ちがいい場所である。

いい「気」を感じる。ここに菩提寺を建立したのが分かる気がした。