2025/12/22
蓬田修一

ロシアという国は、日本やアメリカ、あるいは西欧諸国と比べると、政治や社会の在り方が非常に「見えにくい」と感じられることが多い。なぜロシア国民は強い国家や強い指導者を支持するのか。なぜ民主主義的な制度が導入されても、それが必ずしも価値として定着しないのか。その背景を理解する鍵が、「ロシアにおいて権威がどこに置かれてきたのか」という視点である。

1.ロマノフ王朝と人格化された権威

ロシアの近代以前を支配していたロマノフ王朝において、権威は皇帝(ツァーリ)そのものに宿っていた。皇帝は単なる統治者ではなく、ロシア正教と結びついた「神に選ばれた存在」であり、国家・宗教・皇帝は不可分の関係にあった。ここでは、国家という抽象的な制度よりも、人格としての皇帝が権威の中心であり、国家は皇帝の身体的延長として理解されていた。

このような構造は、ロシア社会に「権威とは具体的な存在に宿るものだ」という感覚を深く刻み込んだ。

2.ロシア革命と権威の否定

1917年のロシア革命は、単に王朝を倒した革命ではない。それは、人格に集中した権威そのものを否定する試みでもあった。ボリシェヴィキは皇帝を処刑し、王朝を完全に断絶させることで、旧来の権威を根こそぎ排除しようとした。

ソ連において公式に掲げられた権威の源泉は、共産主義という理念と「歴史の必然性」であった。個人ではなく、党と思想が権威を担うという建前である。しかし実際には、スターリンの個人崇拝に見られるように、再び人格的権威が強く現れた。ここには、ロシア社会に根強く残る「具体的な存在に権威を求める傾向」が表れている。

3.ソ連崩壊と1990年代の「権威の空白」

1991年のソ連崩壊は、ロシア社会に決定的な空白を生んだ。共産主義という理念の権威は失われ、国家は急速に弱体化した。エリツィン政権下の1990年代には、オルガルヒと呼ばれる新興財閥が国家資産を掌握し、多くの国民は貧困と混乱に直面した。

この時代にロシア国民が経験したのは、「自由」よりも「無秩序」であり、「民主主義」よりも「国家の不在」であった。結果として、民主化は肯定的な価値というより、苦しい時代の象徴として記憶されることになった。この経験は、現代ロシアの政治意識を理解するうえで極めて重要である。

4.プーチンの登場と国家権威の再構築

2000年に登場したプーチン大統領は、革命家ではなく「国家の回復者」として自らを位置づけた。彼が国民から支持を集めた最大の理由は、民主主義の理想を語ったからではない。国家主権を回復し、オルガルヒを抑制し、ロシアを再び「機能する国家」にしたことにある。

ここで重要なのは、プーチン個人が絶対的な権威となったというより、「ロシア国家そのもの」が再び権威を持つ存在として認識されるようになった点である。プーチンは、その国家的権威を体現する代表者として支持されているにすぎない。

5.現代ロシアにおける権威の所在

現在のロシアにおいて、国民が権威を感じている中心は、皇帝でも、共産主義でも、抽象的な憲法理念でもない。それは「ロシア国家の連続性と主権」である。強い国家であること、外部から侮られないこと、国民を守る秩序を維持すること――これらが、権威の核心となっている。

この点でロシアは、中国のように「党」が権威を独占する国家とも、韓国のように権威の再編が未だ流動的な社会とも異なる。ロシアでは、党や個人よりも国家そのものが上位に置かれるという意識が比較的共有されている。

6.ロシアが「見えにくい」理由

ロシアが外部から理解しにくいのは、西欧的な民主主義や個人の自由を基準に評価しようとするからである。ロシア社会の基準は、「どれだけ国家が尊厳を保ち、秩序を維持しているか」にある。この基準に立てば、ロシアの行動は必ずしも非合理ではなく、むしろ歴史的経験に基づいた合理的選択として理解できる。

結びにかえて

ロシアとは、「一度すべての権威を失い、国家という形でそれを再構築した社会」である。プーチン後のロシアを考える際にも重要なのは、特定の指導者の去就ではなく、この国家的権威がどのように維持・継承されるのかという点だろう。

この視点を持つことで、ロシアは不可解な存在ではなく、歴史に強く規定された国家として、より立体的に見えてくるはずである。