2025/12/17
蓬田修一

本稿は、中国とインドという二つの超大人口国家を比較し、「人口が多い国家は独裁でなければ統治できない」という通俗的言説を、国際政治学・比較政治学の視点から再検討することを目的とする。とりわけ、中国共産党による一党独裁体制と、インドの民主主義体制の違いに着目し、それぞれがどのような統治思想と制度選択の結果であるのかを整理する。

まず、中国についてである。現在の中国は、中国共産党による一党独裁体制のもとで統治されている。共産党は、自らの支配を正当化する論理として「中国ほど人口が多く、地域差が大きい国家は、強力な中央集権と統一的イデオロギーなしには統治できない」と主張してきた。この主張は、国内の分裂や混乱への恐怖を強調することで、権力集中を合理化する役割を果たしている。実際、中国では言論・報道の自由が厳しく制限され、政治的反対派の存在は制度的に認められていない。

しかし、比較政治学の立場から見ると、「人口規模の大きさ」と「独裁体制の必然性」は必ずしも結びつかない。その反例として最も重要なのがインドである。インドは中国を上回る人口を抱えながら、独裁ではなく議会制民主主義によって国家を運営してきた。インドは共和制国家であり、英国型の議会制民主主義を採用している。国家元首は大統領であるが、実権は首相と内閣が担い、政権は国政選挙によって選ばれる。

インドの選挙制度は、規模の面でも質の面でも注目に値する。有権者数は9億人を超え、投票所は全国に100万か所以上設置される。言語、宗教、カースト、地域差といった多様性を抱えながらも、選挙は定期的に実施され、実際に政権交代も起きてきた。選挙管理委員会は高い独立性を持ち、選挙の正当性は国内外から概ね認められている。この点で、インドの民主主義は形式的なものにとどまらず、実効性を持って機能していると評価できる。

では、なぜインドは独裁でなくても統治が可能なのだろうか。その最大の要因は、連邦制と分権構造にある。インドでは州政府に大きな権限が与えられ、言語や民族の違いに応じて州の再編も行われてきた。中央政府がすべてを直接統制するのではなく、地域ごとの自律性と妥協を制度化することで、国家全体の安定を維持しているのである。

さらに、インドは中国のような単一の公式イデオロギーを国家統治の前提としていない。インド憲法は世俗主義を掲げ、特定の宗教や思想を国家が強制することを原則として否定している。ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教などが併存する社会において、統一よりも多様性の管理を重視する統治観が採用されてきた点は、中国との決定的な違いである。

この統治観の差は、独立期のエリート層の思想にも由来する。インド独立を主導したネルーらは、植民地支配の経験から権力集中の危険性を強く認識し、「強い国家」よりも「壊れにくい国家」を目指した。一方、中国革命を指導した毛沢東らは、分裂を最大の悪とみなし、統一と動員を最優先する統治モデルを選択した。両国の制度的選択は、偶然ではなく、それぞれの歴史経験とエリートの価値観の反映であったと言える。

もっとも、現代インドが理想的な民主主義国家であるわけではない。モディ政権下では権力集中やヒンドゥー・ナショナリズムの強化、少数派への圧力などが問題視されている。しかし、それでも野党は存在し、選挙による政権交代の可能性は維持されている。この点で、インドの政治体制は中国の一党独裁体制とは質的に異なる。

以上を踏まえると、「人口が多いから独裁が必要」という主張は、経験的にも理論的にも成立しない。むしろ、独裁体制を正当化するために人口規模が利用されていると理解すべきであろう。中国とインドの比較は、統治の安定とは単なる強制力ではなく、制度設計と価値観の選択によって左右されることを示している。この視点は、東アジアの国際政治を考える上でも重要な示唆を与えるものである。