令和6年1月撮影
佐野の市街から葛生に向かう道があった。
古い道で、もしかしたら江戸時代、いやそれ以前からあったのではないか。
50年くらい前までは、葛生と佐野、その先の関東各地に向かうための幹線道路だった。
葛生では良質な石灰が採れた。関東では秩父と並んで有名な石灰産地だった。
2車線の狭い道路に、葛生から荷台を満載にしたダンプがひっきりなしに通行した。
道路の側溝の蓋の上を、ダンプのタイヤが走っていった。
よくは知らなかったが、荷台には石灰や山から採れた土砂が積まれていたのだろう。
ダンプの運転手は個人事業主であった。
多くの量を積めば、収入も増えたのであろう。
積み荷の側面に壁を高く作って、荷台の容量を増やして走るダンプが多かった。
いまでは、バイパスができて、ほかにも道ができてから、ダンプは通らなくなった。
クルマの行き来はほとんどなくなった。
東武佐野線の電車は、堀米駅を葛生方面に走ると、すぐにこの踏切を通った。
いま電車と書いたけれど、電化されるまえは、この絵に描かれているような小さなSLが走っていた。
昭和40年代のはじめのころまで走っていた。