2025/12/20
蓬田修一

はじめに

朝鮮半島の歴史と政治を理解しようとすると、多くの学生は「三国時代」「高麗」「朝鮮王朝」「日本統治」「南北分断」といった出来事の連なりを追うことになる。しかし、事件史を積み重ねるだけでは、なぜ似たような政治的緊張や体制が繰り返し現れるのかを説明することは難しい。

本稿では、朝鮮半島を理解するために有効な三つの構造的な思考軸を提示し、それぞれが現代の韓国・北朝鮮にどのようにつながっているのかを考察する。


第一の軸:分裂と統一の反復ではなく「統一を正統とする政治文化」

朝鮮半島の歴史は、しばしば「分裂と統一の繰り返し」と表現される。確かに、古代の三国時代、後三国時代、そして現代の南北分断など、複数の政権が並立する時期は存在した。しかし重要なのは、それらの分裂期が常に「例外的・暫定的な状態」と認識されてきた点である。

三国時代においても、各国は自らを半島の正統とみなし、最終的な統一を志向していた。統一新羅や高麗、そして朝鮮王朝はいずれも「唯一正統の国家」であることを強く意識し、王朝交代はあっても、半島が一つの国家として存在することが当然視されていた。特に朝鮮王朝は約500年にわたり同一王朝が続き、「単一国家=正統」という観念を社会に深く定着させた。

この長い歴史的経験の結果、朝鮮半島では「複数国家の並存」や「連邦的秩序」が正統な政治形態として認識されにくい。したがって、1945年以降の南北分断は、体制選択の結果というよりも、外部要因によって生じた未完の状態として理解されやすいのである。南北双方が公式には「統一」を放棄できない背景には、この統一志向の政治文化が存在している。


第二の軸:「強い国家」と「弱い社会」という統治構造

朝鮮半島のもう一つの重要な特徴は、国家が社会に先行して形成され、国家が社会を強く統制してきた点である。とりわけ朝鮮王朝は、儒教を国家理念とし、科挙を通じた官僚制によって統治を行った典型的な官僚国家であった。

この体制のもとでは、王権と官僚制が一体となり、地方勢力や宗教勢力、都市自治といった社会側の自立的権力基盤は意図的に抑制された。結果として、国家は長期的な安定を獲得した一方で、社会は国家に強く依存する構造となった。

この「強い国家・弱い社会」という構造は、近代以降も完全には解消されていない。日本やヨーロッパでは、封建領主や都市、教会などが国家と権力を分有し、国家崩壊時にも社会が一定の自律性を保つ余地があった。しかし朝鮮半島では、国家権威が揺らぐと社会全体が急速に不安定化する傾向が強い。

現代韓国における大統領権力の集中、政権交代時の激しい対立、あるいは北朝鮮における党国家体制は、いずれもこの歴史的構造の延長線上にあると考えられる。


第三の軸:半島国家としての地政学的宿命

第三の軸は、朝鮮半島の地政学的条件である。朝鮮半島は、中国大陸文明圏の周縁に位置し、北方遊牧勢力の南下ルートにあたると同時に、日本列島への門戸でもあった。この位置は、朝鮮半島を常に大国間の緩衝地帯としてきた。

この地政学的環境のもとで、朝鮮の歴代政権は、外征による勢力拡大ではなく、内部統制と外交的均衡によって生き残る戦略を選択してきた。強い中央集権、内部対立への低い許容度、秩序維持を最優先する政治姿勢は、こうした生存戦略の産物である。

冷戦期以降の南北分断も、この地政学の延長線上に位置づけることができる。朝鮮半島は、米国・中国・ロシア・日本といった大国の利害が交錯する空間であり、内部体制の問題が常に国際政治と結びついてきた。北朝鮮の極端な体制は、この地政学的圧力に対する一つの歪んだ適応形態と見ることも可能である。


おわりに:三つの軸が示す理解の枠組み

以上の三つの軸――
① 統一を正統とする政治文化
② 強い国家と弱い社会という統治構造
③ 緩衝地帯としての地政学的条件

を意識することで、朝鮮半島の歴史と現代政治は、断片的な事件の集合ではなく、一貫した構造の連続として理解できる