2025/12/20
蓬田修一

国家を理解するうえで重要なのは、誰が実際に政治を動かしているのかという「権力」の問題と、人々が心理的・感情的に「正当だ」と感じる拠り所、すなわち「権威」の問題を分けて考えることである。権力は目に見えやすい。大統領、政党、軍、警察といった形で具体化される。一方、権威は目に見えにくい。だが、国家の安定や国民の政治参加を左右するのは、しばしばこの権威の所在である。

まず台湾について見てみよう。台湾は1949年、蒋介石率いる国民党政権が中国大陸から移転して成立した。長く続いたのは戒厳令下の独裁体制であり、政治的反対者は厳しく弾圧された。蒋介石政権は強い権力を持っていたが、台湾社会にとってそれは外来の支配であり、恐怖によって維持された体制だった。そのため、蒋介石個人や国民党に対して、内面から尊敬や正統性を感じる「権威」が形成されることはなかった。

1980年代末から1990年代にかけて、李登輝政権のもとで台湾は民主化を進め、総統の直接選挙が実現した。現在、制度上の権力は総統に集中しているが、台湾社会において人格的な権威を持つ指導者は存在しない。むしろ台湾人の多くが拠り所としているのは、民主主義という制度的価値や、中国とは異なる存在であるという台湾人としてのアイデンティティである。台湾における権威は、特定の人物や国家神話ではなく、「私たちは何者か」という自己認識の共有に近い形で存在している。

次に韓国である。韓国は制度的には強い大統領制国家であり、権力は明確に大統領に集中している。しかし、韓国社会における権威の所在は分かりにくい。ドイツのように憲法や法が絶対的な権威を持つわけでもなく、フランスのように共和国という理念が国家的権威として共有されているわけでもない。

その背景には、朝鮮王朝および大韓帝国の歴史がある。韓国では近代まで皇帝・王が存在し、長い時間をかけて王朝的秩序が社会に浸透していた。日本統治、分断、戦争、軍事政権、民主化という激しい断絶を経た結果、表向きには共和制と民主主義が強調される一方で、深層心理のレベルでは「失われた中心」としての皇帝的存在への郷愁や、強い指導者への期待が残存している。このため、韓国では権力闘争が激化しやすく、大統領が在任中は強いが、退任後に権威を失うという現象が繰り返されてきた。

最後に北朝鮮を見てみよう。北朝鮮は建国以来、金日成、金正日、金正恩と続く世襲体制のもとで統治されてきた。この国家の最大の特徴は、権力と権威が完全に一致している点にある。最高指導者は政治権力の頂点であると同時に、革命の象徴であり、歴史そのものとして位置づけられている。法や制度、国家理念はすべて指導者個人に結び付けられ、国民が別の権威を想像する余地はほとんどない。

北朝鮮の国民が「権威の対象を持つ余裕がない」という見方は的確である。そこでは権威を選択したり批判したりする自由そのものが存在せず、権威は外部から強制されるものとしてのみ存在する。この点で北朝鮮は、権威が欠如しているのではなく、過剰に独占されている国家だと言える。

台湾、韓国、北朝鮮を比較すると、東アジアにおける政治体制の多様性が浮かび上がる。台湾は人格的権威を持たないまま、価値とアイデンティティを軸に民主主義を定着させつつある。韓国は制度上の民主主義を確立しながらも、歴史的記憶と権威の再配置に揺れている。北朝鮮は権力と権威を指導者に集中させることで体制を維持しているが、その持続可能性には大きな疑問が残る。

このように「権力」と「権威」を分けて考えることで、日々のニュースでは見えにくい各国政治の性格が理解しやすくなる。東アジアの国際情勢を考える際には、軍事力や経済力だけでなく、人々が何を正当と感じ、何に従おうとしているのかという視点が欠かせないのである。