延長5年(927年)にまとめられた「延喜式」には3つの「神宮」が記載されている。

ひとつは伊勢神宮。これは今の感覚でも理解できる。皇室と伊勢神宮とのつながりはいまでも深い。

意外なのは、あとのふたつである。「香取神宮」と「鹿島神宮」である。

どちらも茨城県にある。

なぜ茨城県にある神社が、もっとも格式の高い神宮として遇せられていたのか。

わたしはそれが不思議だった。いまから数年前だが、ふたつの神宮を訪ねた。

行くと実感したが、どちらも日本の一番東に位置している。

つまりもっとも早く太陽が昇る場所だ。

古代は太陽信仰がいまよりも人々の気持ちのなかに、強くかかわっていたと思う。

日の出に日本で一番早く出会える場所を聖域として信仰していたのは想像に難くない。

ふたつの神宮の周辺も聖なる地として人々から認識されていただろう。

出雲大社のように、大きな由緒ある古い神社の近くには王国があった可能性がある。

鹿島神宮、香取神宮の近くも、巨大豪族による政権が存在していたと考えている。

ヤマト政権が誕生する際、ヤマト政権に都合の悪い事実はなくしてしまったと考えている。

鹿島神宮、香取神宮についての古代の様子がよく分からないのもそのためであろう。

古代の関東について、検討しなければならないのは古墳の多さである。

わたしが住んでいる北関東には古墳が集中している。

わたしは仕事の合間に古墳を訪れ調査している。

古墳の墳頂に立って関東平野を見渡すと、古代人の息吹を感じるようだ。

古墳が多いのは有力豪族が支配していた地域だからだ。

これまでの歴史教育では、学校でもメディアでも関西圏の古墳について考察することがほとんであった。

古墳から出土する埴輪も、関東圏が全国的にみて圧倒している感がある。

大型の武人埴輪や馬の埴輪は、関東から多く見つかっている。

国宝となっている埴輪の数も関東圏は多い。

関東圏の古墳時代を見直すことは、日本の歴史を見直すことであり、これまで古代について学ぶ機会が薄かった関東人にとって、自分たちの誇りを取り戻す大きなきっかけとなることだろう。