2026年6月参拝・調査
平将門討伐の命を承けた藤原秀郷は承平六年(936)、この地で宇佐八幡宮を奉じて戦勝を祈ったという。
このとき、神社のないこの地で祈ったのか。あるいは八幡神社を創建したのか。
将門を討伐した秀郷は天慶五年(942)、討伐に使った塚を作り兵器を埋めたとされる。その塚が道場塚古墳であり、その上に、秀郷が主城となった唐沢山城の鬼門の守りとして、上羽田八幡宮の社殿を作ったとも言われている。
ただ、唐沢山城の築城は15世紀ともいわれていて、時代が合わない。
元禄8年(1695年)に、本殿を現在の位置に移したとき、地中から刀剣の欠片が出土したらしい。
この出土刀剣が将門討伐に使われたものかは疑わしい。
というのも、道場塚古墳の100メートルほど北側に道場稲荷古墳があった(いまは消滅。跡地に祠だけ祀られている)。
既存古墳のすぐそばに同じような古墳形状の小山を作るとは考えにくい。出土した刀剣は道場塚古墳の副葬品ではなかったか。
古墳・遺跡を歩く。古代と対話する。
この記事は、ひとりの歴史探究者が古墳・遺跡を訪ねながら、古代と向き合っています。答を探しているのではありません。問いが深まるのが楽しいのです。
古代史は研究者だけのものではありません。現地に立ち、自分の目で見て考えるすべての人に開かれた世界です。
