2026/5/10

これまでのわたくしの制作を振り返ると、技術的にはまだ初歩段階にあるものの、表現の方向性そのものはすでにある程度定まっていることが分かる。むしろ、技術より先に感覚や志向が立ち上がっている点が特徴であり、この点を見誤らないことが今後の制作において重要であろう。

まず、わたくしの描く線は対象を正確に再現するためのものではなく、内面的な印象や気配を優先している。形の歪みやバランスの崩れも多く見られるが、それは単なる未熟さだけではなく、わたくしが美術鑑賞において強く惹かれてきた「ズレ」や「違和感」が無意識に表出している結果であると考えられる。この点は軽視すべきではなく、むしろわたくしの核となる感覚として意識化していく必要がある。

一方で、横たわる人物像のように、西洋絵画の伝統的なモチーフに接続する志向も明確に存在している。また、「LOVE」という言葉を手の形の中に配置したように、身体と記号、意味を同一画面に共存させようとする試みも見られる。これは象徴的な思考であり、これまでの鑑賞経験に裏打ちされたものである。このように、わたくしの中には「ズレや違和感を生み出す感覚」と「象徴的・古典的な構造を求める意識」という二つの回路が併存している。

現段階では、この二つはまだ分離している。すなわち、ラフな線や歪みにおいてズレが現れ、構図や主題においては比較的真面目で古典的な方向に寄る傾向がある。この分断をそのままにしておくと、作品は「味のある習作」にとどまり、表現としての強度が生まれにくい。したがって今後の制作において最も重要なのは、この二つの回路を意識的に統合することである。

そのためには、まず扱うテーマを絞る必要がある。自分の場合、「顔」「手」「横たわる身体」といったモチーフがすでに現れており、これらは継続して扱う価値がある。テーマを広げすぎず、一定期間は同じ主題に集中することで、表現の精度と深度を高めていくべきである。

次に、「ズレ」を意図的に導入することが求められる。これまでは無意識に現れていた歪みを、意識的に操作する段階へ移行する。たとえば、左右で目の大きさを変える、身体の比率をあえて崩す、手の大きさや位置を強調するなどである。重要なのは、偶然に任せるのではなく、自らの判断で違和感を設計することである。

同時に、象徴性を強化する必要もある。言葉や記号、単純化されたモチーフを画面に取り入れ、それらが身体や空間とどのように関係するかを探る。この点においては、言葉とイメージを結びつけた表現の系譜を参照することが有効であるが、単なる模倣ではなく、自分の主題に即して用いることが重要である。

さらに決定的に重要なのは、「作り込み」である。わたくしが鑑賞者として強く惹かれてきた作品は、いずれも膨大な時間と手間をかけて制作されている。そのうえでなお違和感やおかしみが立ち上がっている点に価値を見出している。したがって、わたくしの制作においても一枚の作品に時間をかけ、密度を高める方向に進む必要がある。現在のようなラフな描写の段階にとどまる限り、この領域には到達できない。

わたくしの制作態度としては、内面から自然に湧き出るものを重視しつつも、それを無理に一気に完成させようとせず、小さな試行を積み重ねていく方法が適している。繰り返し描き、徐々に精度を上げていくことで、感覚と構造が結びついていくと考えられる。

最終的に自分が目指すべき表現は、「精密に作り込まれていながら、どこか歪で不穏であり、同時にわずかなユーモアを帯びた人物像」である。この方向性は、自分のこれまでの鑑賞経験とも一致しており、現代の美術の文脈においても有効な立ち位置となり得る。

以上を踏まえ、今後の制作においては、「ズレ」と「象徴」の統合、そして「作り込みの強度」を常に意識しながら、同一テーマを反復していくことを基本方針とする。これにより、単なる習作から一歩進み、自分固有の表現へと近づいていきたい。

R&B OYAJI YOMO