ソ連軍戦闘機ミグ25 ベレンコ中尉亡命事件
1976年9月6日、ソ連軍の戦闘機パイロット、ビクトル・イワノビッチ・ベレンコ中尉(29歳)は、極東ロシアのソコロフカ飛行場を飛び立った。
ベレンコ中尉は、自身が操縦するミグ25の機首を函館空港に向けた。
同日、函館空港に着陸した。
日本は連日マスメディアが取り上げ、大騒ぎであった。
機体の調査はアメリカが行った。
着陸から3日後、ベレンコ中尉はアメリカへ亡命した。
亡命から4年後の1980年、ベレンコは「アメリカ市民権」を得た。
ベレンコはシュミットと名乗り、アメリカ中西部のまちを転々とした。
ソ連の刺客から逃れるためである。
CIAは、ベレンコは交通事故で死んだとフェイク情報を流した。
1991年冷戦が終わると、偽名はやM、ベレンコと名乗った。マスメディアにも出てコメントした。
1996年、ロシアに旅行した。
小説家トム・クランシーの「レッド・オクトーバーを追え」には、ベレンコの助言が多く活かされている。
2023年9月24日、ベレンコは息を引き取った。
ベレンコはソ連時代に結婚し、子どもがひとりいる。
アメリカに亡命後、再婚したが、すぐに別れた。
息子がふたりいた。孫も4人いる。